daredemo-naiのブログ

推敲しないことを自分に許すブログ

誰でもない

諸事情より、初めてペンネームというか、芸名というか、別の名前を得た。

今まで小説や音楽や、何かしら作品を発表する時にもかたくなに本名を貫いてきた。なぜかはよくわからない。

ところが一度別の名を得てみると、不思議な浮遊感というか、身軽さを手に入れた。

名を得た初日は、その名を名乗ることも、自分に苗字から名前から全く別の名称が与えられていることが違和感でしかなく、自己分裂を起こすのではないかと感じていた。

しかし、その名前には目的がある。自分の生活から社会活動から全てをまかなうための、本名とはわけが違う。「創作活動の際のみ」に用いるという明快な目的を持った名前である。

その事実が身体に入り込んだ瞬間に、すっと何かが抜けたような感覚を得た。

私はどうも、一つのことだけを究める人生を歩むことは出来ないらしい。ほとんどの人はそうかもしれないが、自分の場合、集中力はないくせにオタク気質なものでタチが悪い。一つのことに長時間取り組めるわけでもないのに、一つ一つに研究者的な欲求を抱いてしまうせいで、身体も世界線も正直一つでは持たないと感じる。

でも今の私には、もう一つの名前がある。今までのように全ての人生を一つの名前に背負う必要はない。何の解決にもなってはいないが、それはすごく気楽なことのように思えた。

当然別の名前を得たとはいえ、その人物を動かすのも自分自身なのだから、負担が明瞭になっただけなのかもしれない。でもまあ、そういうのは、気持ちだし。今はそういう気軽さを得たということだけ、ここに書き留めようと思った次第。

 

一人の人物を演じ続ける役者に惹かれる。彼は彼自身でもあり、演じ続ける或る人物でもある。その作品も全て本人が作っていたら、その人物は役者自身にぴったりと貼りついていて、切り離せる存在ではないように感じる。

そういう人物と役者の関係性はすごくロマンチックだ。彼らは全く別人でありながら一つの身体を共有する存在であり、彼が一人で酒を飲めば杯を交わしたことになる。

別の名前を得るのは、そういう不思議な人々の仲間入りが出来たようで、少し楽しい。あとは私が彼女をどれだけ生かしてあげられるかにかかっている。頑張れよ自分。